福祉のない社会はすべての人が生きづらい社会

2017年10月22日ひとりごと・報告

福祉のない社会はすべての人が生きづらい社会

こんばんは!
管理人ぺち、ことちひろです。
今日は「福祉」についての記事です。
福祉は一部の人のためにあるんだと思っている方いませんか?
管理人はそうは思いません。
福祉はすべての人のためにあるのです。

「福祉」という言葉でどんなことを想像しますか?

「介護」
「高齢者」
「保育」
「障害者」
だいたいこのあたりを思い浮かべられると思います。

福祉が活躍するのはこの分野ですね。
だからこそ、

「自分は福祉とは無縁だ」

「なぜ福祉にお金を使わなければならないのか」

…といった発想をする方もいらっしゃいます。
悲しいことですが、自分に無縁だと思っているのなら感心が薄くなるのは、人間の心理としてある程度仕方ないのかもしれません。
ですが、本当に無縁なのでしょうか?

このサイトは発達障害について扱っているサイトなので、障害者という視点から

  • 福祉に無縁な人はいるのか?
  • 福祉をないがしろにした社会はどんな社会なのか?

というのを考えていきたいと思います。

なぜ「障害者」という区分はあるのか?

まず、そもそも「障害者」という区分はなぜあるのでしょうか?
人間が勝手にグループ分けしているだけというのもありますね
人間にとって都合のいい現象を「発酵」と呼び、都合が悪いと「腐る」と呼ぶ…

さて、その大多数の人間の都合でグループ分けした「障害者」
なにをもってして「障害者」というグループに入るのでしょうか?
それは
生きづらさを一人で抱えきれなくなり社会生活を送るのが困難になったとき
だと管理人は思っています。

そうなると「障害者」という区分は、
生きづらくて困っている人を助けるためにあるのでしょう。

なぜかと思いますよね?
困っている人たちをグループ分けする理由は「助けるため」以外にないでしょう。
もし「助けない」のなら、それはただの差別するための名称になってしまいます。

一方、生きづらさというのは日常の些細なことでも生まれます。
「一度も困ったことがない」という経験をお持ちの方はなかなかいないでしょう。
そうなると、すべての人が障害者になりうることになります。

それでも、「障害者」という区分があるのはなぜでしょうか。
一般に「障害者ではない」と判断される人々は、生きづらさを感じても、周囲に助けを求めたり、自分で処理したりすることで社会生活を送っていける…ということです。

社会生活を送るのが困難になったとき、一人ではどうしようもなくなったとき、人は「障害者」と呼ばれるようになります。
ちなみに、余談ですが風邪の正式名称は「……障害」というんですよ?

福祉をないがしろにした社会

福祉とは生きづらさを抱えるすべての人を助けるためにある理念だと管理人は捉えています。
ですから、福祉をないがしろにした社会とは、すべての人が生きづらい社会ということになります。

まだ自分に引き寄せて考えられない方いらっしゃると思います。
ですので一つ昔の話をしましょう。
そう昔でもありません。

50年、40年ぐらい前は左利きは障害者だと言われていました。利き腕を右にしようと強制されることもあったようです。
実際、世の中のものは右利きに都合がいいように作られています。
ドアノブしかり、スポーツのルールしかり、文字までもが右利き用に作られています。

現在では左利きを差別するような文化はなくなってきました。
本人の個性だと認められつつあるんだと思います。

左利き用の文房具なども安価で手に入るようになった今、当然の配慮として考えられているのでしょう。

生きづらさを抱えている方への配慮が当然となれば、世の中に「障害者」という区分は必要なくなるかもしれませんね。


今日の記事はここまでです。
またしても頭が痛くなるような記事になりました。
みなさま、お疲れ様でした<(_ _)>

最後に、ある障害者入所施設の理事長さんのお言葉をお借りします。

「人間は障害者で生まれて、障害者で死んでいくんです」

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事を読んでくれたあなたが、福祉というものを少しでも自分に引き寄せて考えることが出来たなら、管理人は嬉しいです(^人^)

 

  拍手〇回目から管理人の秘密が…!

 

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